第七回
2006年02月13日
 
 いよいよ佳境に入ってきましたDr-Kの夢紀行ですが、今回は前回の最後に書いた空港公団(?)のボロについてのお話です。

 早速ですが、総研からの調査報告書が、私の手元に届きました。それは中国語と日本語2種類のレポートで、空港公団と名乗っていた、黄さんと陳さんの会社に対する詳細なレポートでした。
 まず、いつも一緒に仕事の話をさせてもらっていた陳さんの会社についてですが、レポートによると、上海の長江川の中洲にある小さな島に本社があり、資本金10万元(約150万円)で、陳さんの家族3人が役員をしているコンサルタント会社であり、売り上げはほとんどなく、1年前に設立している会社であるとの事。
 つぎに、黄さんの会社は上海市のはずれの町に本社があり、資本金は4,000万元(約5,600万円)で、役員は3人いて、確かにその中には空港公団に以前いた人が役員を勤めておりました。また、この会社も売り上げはほとんど無く、新しく設立されたものでした。
 ここまでのレポートを見るとなんとなく空港公団が子会社を作りこれからショッピングモールの案件を請け負って事業を始めようとしているのかな?とも思えるでのですが、レポートによる調査報告はさらに続くのであります・・・

 実は、今のモールが建設される前に、(本当の)空港公団が広く一般に向けて工事の入札を行っていました。その時はある台湾系の会社が落札したらしいですが、そこで日本でもよく聞く談合や汚職が行われていたことが発覚し、建設途中ではありましたが、空港公団のナンバー2の人とその他2名の公団の役員が公安当局により逮捕されていたのです。当時中国では少しは新聞を賑わせていたらしいですが、わたしたちのような外国人には、そのような事実事態知る由もありません。
 つまり空港のモールは、中国国内では誰も手を出さないいわく付きの物件だったのです。(以前から外資・外資と言っていた理由がようやく理解できました)
 では、何故、そのようないわく付きの物件があたかも正当に空港公団の仕事のように、公団の建物の中で話されていたかが、皆様にも不思議に思われることと思います。
その理由にはさらに恐ろしい現実があったのです。

 公団とは関係ないものが公団内部に入れるわけも無いので、何かしら関係があるはずであると想像は付いたと思いますが、実は黄さんは実際に空港公団の課長級でした。しかし、現在は休職をしていたのです。彼は前に述べた汚職事件の残党だったのです。その際は逮捕を免れたの彼が、今回のモールの案件を引き継いだのだと思われます。しかし、休職中であったとしても、公団の人間が新しく会社を作り案件を引き継ぐことは、いくら中国でも正当には認められません。それではどうやって彼は引き継ぐことができたのかと言うと、なんと、彼は経歴を詐称し別人となり、新しく会社を設立していたのでした。(そんな事が通用する中国が恐ろしい・・・)そして、なにくわぬ顔で陳さんの会社を隠れ蓑にして仕事をしていたとことです。

 もし、このまま契約をして、お金を渡してしまったとしたら、陳さんや黄さんは新しい会社をつぶして、お金だけ持って逃げてしまうつもりだったのでしょう。そして、黄さんは空港公団に戻り、多少の金をしかるべき人たちに渡して元の空港公団の課長として働き続ける・・・と言うシナリオだったようです。
 したがって総研の結論からは、全体にヤバイ状況であるとの判断がなされました。黄さんが強大ではないが、それ相応の力を持っている為に、更にヤバイのではないかとも付け加えられています。このような状況になり我々としては、どのように引けば良いのかを考えるしかなくなりました。
 その調査報告を、早速ITの社長に伝え、すぐに引くように言いましたが、彼は、「実際にモールがあるのだから運営すれば、広告はできる」と言い張り、なかなか引こうとはしませんでした。個人的には貸したお金件ももありますし、何度もやめるようにいったのですが、ITの社長は聞く耳を持ちません。Mr−Tには、この話は当然できるわけも無く、今度上海に行ったときには、ファンド関係の話を、総研で一緒に打ち合わせましょうと言い、総研の副社長に決めてもらうことにしたのです。結局病院の方もMr−Tに任せておりました関係上、どうしても、お金が必要であると言うことですぐに預けた分を戻してもらえないかと申し入れました。彼は難色を示しながらも、すぐにまた入金すると言うことで何度かの交渉でやっと全額を返金してもらえました(ラッキー♪)
 ファンドで集めた資金は、すぐに総研の報告書と共に返金してもらい、実際にまだ送金していないものも含め、全ての皆さんにお詫びをし、この話をここで凍結しました。(しかし、信用は ガタ落ち!!)
 そして、ITの社長の1,000万は分割で半年にわけて返してもらうこととし、借用書をかかせ、とりあえず私の周りは固めた状態でいざ上海に行く日程になったのでした。

(次回 第八回に続く)
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